🎧 Tune Proを“しまう”という選択
ー「より少ない生き方」とアシストリーダーがくれた気づき
最近、あるKindle本をアシストリーダーで聴いていた。
タイトルは『より少ない生き方』──
それはモノの話であり、同時に心の話でもあった。
🧳 Tune Proという“お守り”
Tune Proは、もともと「聴覚過敏対策」のために持っていたイヤホン。
物理的な遮音性能に優れていて、
静けさを必要とする場所や状況で、心の安心を支えてくれる存在だった。
以前、イオンモールに行く際にも念のため持って行った。
けれど、結果的には使わなかった。
そのとき気づいたのは、「案外、なくても大丈夫だった」ということ。
🎧 OSPとdBudがいてくれたから
実際に助けてくれたのは、Tune ProではなくOSP(OpenSwim Pro)とdBud耳栓だった。
All This JazzをMP3で流しながら歩くそのリズムが、
自分の中にある静けさをちゃんと引き出してくれていた。
しかも、自分はOSPを使うときは必ずdBud耳栓を併用している。
これは“聴きたい音だけを通す”ための、自分なりの工夫。
dBudはお風呂でもつけている耳栓で、
耳の中を洗う時以外は常に装着している安心アイテムだ。
音楽を楽しみながら、耳を守る。
聴きたい音だけに耳を傾けるって、なんだかすごく贅沢で心地いい。
📚 『より少ない生き方』と耳からの気づき
この感覚を後押ししてくれたのが、
アシストリーダーで聴いていた**『より少ない生き方』**という一冊。
「持っていることで得られる安心」と
「手放したことで生まれる余白」
どちらが、今の自分にとって豊かだろう?
本の言葉が、心の奥にそっと問いかけてくる。
🧠 保管=手放すわけじゃない
だから、Tune Proを今すぐ売ったり、手放す必要はない。
ただ、「持ち歩かない」「使わない場所にしまう」という選択をするだけ。
それはまるで、感情を“棚にそっと戻す”ような穏やかな行為だった。
必要になったら、また出せばいい。
今はただ、自分の暮らしと耳と心に、ちょうどいい静けさを保ちたいだけ。
🌿 今ある音と、これからの余白
Tune Proをしまった今、手元にあるのは
・OSP(骨伝導+MP3)+ dBud(耳栓)
・アシストリーダー(耳からの読書)
この2つの音の道具だけ。
でも、それだけで充分だと思えるようになった。
All This Jazzが流れるたび、暮らしにふっと余白が生まれていく。
✍️ おわりに
静けさは、ただ「音がない」ことじゃなくて、
“自分のペースを守れること”なのかもしれない。
Tune Proが教えてくれた安心と、
“より少ない音”がもたらしてくれる自由。
そしてOSPとdBudが今の自分にとっての“静けさの最適解”。
それらが自然と重なって、今日も心の中で静かに鳴っている。
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